2019年3月12日火曜日

十三通目 2019年3月12日

松原さんへ

「グスコーブドリの伝記」、不勉強につき読んでいなかったので、これをきっかけに読ませて頂きました。確かにおっしゃる通りだと思います。書簡の最後の方の話は、あの頃当然のようにNHKで何度も流れた「花は咲く」の記憶と重なります。様々な現実を覆うものとしての物語、美談の数々、そしてあらゆる人々の考えを一つの方向に束ねる歌。
 震災が起こった時に(あの日本全土が浮動し不安定になり誰もが正しい言葉を探すというきわめて危ない時期に)僕が信じられる言葉だと思ったのは高橋源一郎と佐々木中、坂口恭平と江頭2:50のそれでした。江頭2:50は自身の「ピーピーピーするぞ!」というラジオ番組において、東日本大震災のあった直後、支援物資がうまく被災地に届いていないという情報を聞いたというただそれだけの動機から、自身でトラックの調達から支援物資の受け取り、検問をくぐりとある老人ホームへその物資を届けるまで行ったというエピソードを明かしていました。
 坂口恭平も、自分の思いつきを自力で行い、いわば社会を変えようというどこかヒーロー気質のところがあります。グスコーブドリと同じ、「私達は何も出来ることがない」という無力感を幻想によって緩和させる麻酔の役割をするエピソードであり、それにしがみついていたのかもしれませんね。坂口恭平がツイッターで喧伝している「作業療法としての、小説を書くこと」、その実践、作品である「カワチ」という小説がもうすぐ二千枚をこえようとしているというエピソードを見て感心し、それに感化されてこの「書簡」を計画したのでした。その辺りのことは先日、非公開で行った保坂和志にまつわる対話の中でも最後の方で触れましたね。やはり自分の起源にあたる作家については、透明に語ることはできないのだなと改めて思いました。今まで課題になっていた十何冊かの本を保留にして、今サルトルの『自由への道』、『嘔吐』などを、とある因縁から読みはじめています。突然の激しい雨が何度か降り、そろそろ冬を抜けたなという感じが漂っていますね。偶然にも、うちの母の誕生日もつい先日あったばかりでした。互いに孝行しないといけませんね。アルバイトの件、首尾よく通ることを期待しています。

Pさん

P.S.あんまり具体的な、小説、文学にかんする話が薄かった気がするので、今読んでいる本について付記します。ツイッターでも公表しましたが3月の課題本は珍しく読書会のはるか前に読み終えました。ホセ・ドノソは他の作品も含めて読んだことがなかったので、ガルシア=マルケスなどと比較して考えて見たり(ガルシア=マルケスは、ラテンアメリカ文学というものの中でも、マジックリアリズムと言われる小説の中でも、特異だったのではないかと、今作から振り返って思いました)、ここでもやはり情景と言葉との間にある距離について考えたりしました(つまりは、そう言ってしまえば何か言ったような気分になるというだけのことかもしれませんね……)。あんまりここで感想について話すと約十日後の読書会当日の楽しみが減るのでこれくらいにします。しかし、読んでいる最中に散発的に思っていたことは、思いの外どんどん抜け落ちて行ってしまいますね。自分の書く小説にかんする計画の方は、全く立てられていないので、かなり焦っています。しかし、いろいろな企画を通して、いくつかきっかけはつかんだような気分でいますが……これも実践しなければ意味がないですね……。

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