2019年6月4日火曜日

二十四通目 2019年6月4日

さんへ

 先週の『百年の孤独』読書会、お疲れさまでした。対話をしているうちに思いのほか新しい知見も生まれ楽しかったです。6月もよろしくお願いします。
 さて、今回は内輪な話題で恐縮しますが、Pさんの春文フリ作品「紙飛行機」(『崩れる本棚』No.8.0)の感想を書いてみようと思います。
 
 Pさんは1987年生まれで僕と一回り違う。彼の過去ツイートによると、2000年代が同時代の刺激を浴びたもっとも多感な時期で、それは保坂和志の評論だったり、海外と国内のSF小説だったりしたらしい。僕は2000年当時、東京の大学生だった。といってもすでに25歳になっており、どこか冷めた目で時代を見ていた。やけくそでモーニング娘。にハマっていたほどだった。だから僕の主戦場は1990年代であり、名古屋大学の映画研究会に通信高校生の分際で籍を置き、馬鹿みたいな映画を撮りまくって周囲から顰蹙を買っていたあの時代が、いまの僕を作ったといっても過言ではない。
 きょうはいつものツイ廃から脱却して、ルーティンの音楽鑑賞と散歩をこなし、村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」(『螢・納屋を焼く・その他の短編』新潮文庫)を読んでいた。でもどうも読書は進まず、乃木坂46の「sing out!」を爆音でループさせたあと、気まぐれに堀部篤史の『90年代のこと 僕の修業時代』(夏葉社)をちょっと読んでみた。そこに興味深いことが書かれてあったので引用する。

「十曲の自然かつ意外な流れを生み出すためには数百曲、数千曲のストックが必要になる。反対に言えば、ジャンルやスタイルを問わないあらゆる音楽を収集しつづけることで、はじめて個性的な「つなぎ」が可能になる。」

「だから長い間、ロックやソウル、ワールドミュージックにジャズとすべてのジャンルにおいてでたらめな順番で、膨大な量の音楽に触れ続けてきた。名盤も珍盤にも貴賤はなく、古典的名作も評価の定まらぬ新作も順序なし。ビートルズもマイナーなファンクバンドも、前衛音楽も並列に聴き漁った。系統だった知識もないくせにと責められれば言い返す言葉もないが、音楽本来の自由な聴き方だと開き直ることもできる。デタラメなレコードの買い方をすることでハズレや失敗も多かったが、いつかどこでつながり、理解できる日が来るという思いが、未知のものへの投資に対して背中を押してくれた。自分たちだけが特別だったのではない。あの頃はそんな時代だった。」

 つまりは「紙飛行機」の感想はこのような雑食性の大事さということに尽きるのだ。この90年代の感覚は2000年代にもあったのではないか。そしてそれはいまの時代を最大限に吸収しているだろう若者たちの2010年代においても変わらぬことではないかと思う。

松原

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