2019年7月10日水曜日

二十九通目 2019年7月10日

松原さんへ

 買ってからほんの少ししか読み進められていなかった中原の『パートタイム・デスライフ』を半分ほど読みました。僕は「紙飛行機」の中でほんの少しだけ中原昌也風に書くことを意識してみていたのですが、やはり本物は違うと思わされます。青木淳悟もそうですが、ある物とか社会制度みたいなものをあげつらって、場面を作り出す。前にも何度か中原昌也が、全く同じ文章を繰り返していたり、ほとんど同じ場面を似たような言い回しで繰り返すところがあります。彼の場合は本当に純粋に文字数稼ぎの為にやっているんでしょうか。漫☆画太郎と同じようなことをしている。痛快ではある……
 中原昌也は何重かの意味で小説が持つ価値みたいなものを打ち消す為に書いていて、全く現実的なつながりを断とうとしているかのようです。小説内における言葉の効果の薄さやずれ、この小説の対外的な立ち位置も、いわば「死んでも何も残さない」かのように、一定の感慨とか、「読んでいて良かった」と思える何物も残さないようにしているというか……しかし単純にそうと言い切れるかはわかりません、ともかくこの、他の、一般にはそう思われているけれども案外そこまで徹底してなされてはいないところのフィクションの自立した姿などが、ヌーヴォーロマンとの共通点といえるでしょうか。これだけ無造作にかつ自由で個性的に小説が書いてみたいものです。
 中原も青木も、デビューしてからまたひと世代経とうとしている、もう次が現れて良い頃なのかもしれない(あるいは、もう現れているのかもしれないが)けれども、僕に関しては、文芸界の状況をいまだにつかみ切れていないような状態です。今まで新しいと思っていたものが、もうすでに古くなっているといった焦りにかられます。焦っていても仕方がありませんが。新しい小説が、まだ書き出せずにいます。書簡の今回分を中原のパロディーにしてみようかと思い立ってしばらく書き進めたのですが、空しくなって途中で反故にしました。それから近所に新しく出来たラーメン屋でたらふくラーメンを食べ、眠くなったので夕方まで寝ていました。
 気合いを入れ直す為、ストイックな作家の伝記でも読むことにします……

Pさん

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