2019年7月18日木曜日

三十通目 2019年7月18日

Pさんへ

 先日の『百年の孤独』読書会、お疲れさまでした。私はそのあと、グアテマラの短篇を読んだのですが、読書の倦怠感のようなものを覚え、それから、がらりと趣向の異なる矢部嵩「[少女庭国]」を手に取りました。読み終え、次に小松左京「影が重なる時」に移ろうとしましたが、読んでいる途中で先の「[少女庭国]」の感想がつらつらと浮かび、いま話題の小松左京評を書くのは止めて、矢部嵩の今作について考えてみようと思いました。
 いつものようにあらすじは省略させてください。私はこれを読んで始めは現代的な言語表現に違和感を覚え、なかなか読み進めることができませんでした。それを無理して流すことで先へ先へと押し流されるように読んでゆき、そこで「紋切り型」への抵抗の新しいアプローチだったのかな、という感想が小松左京の本を手にしているときに浮かびました。
 どういうことかといえば、これを読んでいると大概の読者は『バトル・ロワイヤル』や『ソウ』なんかの集団殺人物を思い浮かべ、いつ殺し合いが始まるんだろう、どんなイヤミスを味わえるんだろうと、マゾヒスティックな想像をしてしまうものだと思います。僕もそうでした。でも話は違う展開を見せてゆく。その詳細についてはネタバレになるので触れませんが、ここにはアンチクライマクスといえるような、物語批判といえるような、高度な批評性が窺えます。
 それを大江健三郎のレイトワークのような純文学でやるのならまだしも、娯楽性の高いハヤカワSFでやってしまったことが矢部の新しいところかなと考えます。それが私の未読の「少女庭国補遺」や「処方箋受付」でさらに高みへと達しているのだろうと推察します。
 翻って小松左京延いては流行中のリュウ・ジキン『三体』(今日、買いました)はその物語批判を織り込みずみなのか気になるところです。
 下半期、日本並びにアジアのSFを読書会以外では読んでいこうと計画しています。

松原
 

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